琴弾八幡宮|山頂に佇む源氏ゆかりの地

琴弾公園入口の大鳥居から381段の石段を上がると琴弾八幡宮(ことひきはちまんぐう)本殿があります。元四国八十八ヶ所の68番札所で、現在は新四国曼荼羅霊場の23番札所およびさぬき十五社の14番札所になっています。道中には、源義経が屋島の合戦の戦勝を祈願して奉納したと伝えられる木の鳥居や、遍路道の父とも言われている宥辨 真念(ゆうべんしんねん)の道しるべが残っています。境内から瀬戸内海や観音寺市内が一望でき、琴弾八幡宮の由来にちなんで流れている琴演奏の音楽が、訪れる人の心を癒してくれます。また、源義経が源平合戦の勝利祈願をしたことで知られ、今も義経参詣の願文、神馬の奉納などの史実、史跡が残っています。これが所以となり勝負の神様ともいわれ、受験生や勝負事の際の祈願として多くの参拝者が訪れます。

住所

〒768-0061 香川県観音寺市八幡町1-1

・高松自動車道大野原ICから車で約12分(6km)
・高松自動車道さぬき豊中ICから車で約15分(8km)

鉄道

JR観音寺駅からタクシーで約5分(2km)

のりあいバス

のりあいバスは1日4便です。JR観音寺駅からのりあいバス五郷高室線に乗り、運転手に「琴弾公園(森内科)」と告げてください。のりあいバスにはバス停がなく、路線上ならどこでも乗り降り自由です。(ただし、国道11号線は指定場所以外、乗り降り禁止)

駐車場

あり

行き方

本殿までは、大鳥居から石段を登っていくルートと一方通行のドライブウェイを使って車でいくルートがあります。

お問い合わせ

TEL:0875-25-3828

  • 琴弾八幡宮の歴史・由来
  • 琴弾八幡宮と源氏

一説によると、大宝3年(703年)3月琴弾山で法相宗の高僧・日証上人が修行をしていました。そのうち西の空が暗くなり音がしてきたので浜にでてみた所、一隻の船の上で琴の弾く老人を見つけました。琴の主は「我は八幡大明神なり。都の近くで朝家(朝廷と国)を守護しようと宇佐より来たが、この地の風光があまりにも素晴らしいので去り難い」と上人に言いました。

上人は驚いて村人とともに船と琴を山に引き上げて社殿を作りお祀りし、琴弾八幡と名付けると同時に、神宮寺として宝光院(現在の四国八十八ヶ所霊場第69番札所・観音寺)を建てました。当時は神社と寺の境の区別がない、神仏習合の寺社でした。大同2年(807年)唐から帰国した空海が立ち寄り、琴弾八幡の本地仏である阿弥陀如来を描いて本尊としました。

鎌倉時代以降、鎌倉〜室町時代頃より広まった四国遍路では、琴弾八幡宮は観音寺と共に一山二霊場となりました。四国遍路が八十八ヶ所として整備されると琴弾八幡宮は68番札所になりましたが、明治以降、神仏分離によって琴弾八幡宮と観音寺が分離すると、琴弾八幡宮にあった阿弥陀如来像を観音寺西金堂に移して68番札所 神恵院としました。この際に、琴弾八幡宮は「琴弾八幡神社」に名前が変更されていますが、戦後現在の琴弾八幡宮に名を戻しています。

琴弾八幡宮は源氏の信仰を受けています。
源頼義
前九年の役(平安時代後期の陸奥国で起こった戦い)の前に使者を遣わして願文を納める。
源義家
源頼義の子。社殿を造営し神馬を奉納。
源義経
元歴(1185年)屋島の戦いの後、平氏追討を祈願して鳥居と馬を奉納。
源頼朝
一千貫文(現在の約1億円〜1億5千万円相当)の領地を奉納。

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